2010年4月アーカイブ

琉球新報連載エッセイ 4/26

音楽の力




音楽が思春期の子供の心を救うことがあると思う。

 たとえば、ベートーベンの交響曲は子供達を力強く励ましてくれる。私の東京時代の生徒の中には厳しい中学受験に疲れ切ってしまい、折角合格した学校に通えなくなってしまうケースが何度かあった。しかし彼らはオーケストラには通い、一心不乱に演奏しているのだ。音楽に何かを求めているようにみえた。コンサートに向けて「英雄」の名で知られる第三番や、「のだめ」でおなじみの第七番を皆で練習していくうちに、今や語られる機会が減った真・善・美を真正面から語りかけるその貴い魂に触れて、生きる力を取り戻していくようである。音楽の持つ大きな力だ。

また、思春期特有の人生の悩みを持った高校生が、バッハの無伴奏バイオリンソナタに癒されることもよくあることだ。無伴奏であるこの曲が持つ自己完結性の高さやバッハ本来の精神的高さを感じてか、それまであっけらかんとしていた子供が内省的になり、今までになく部屋に籠って一生懸命練習する。存分に弾けるようになると何とも穏やかな顔だ。バッハの音楽には、聖書のように人の生き方を示す力があるのかもしれない。

私の思春期はモーツアルトが支えてくれた。彼の明るい曲に潜む儚い悲しさを文豪スタンダールは「疾走する悲しみ」と表現し、評論家小林秀雄は「モーツアルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない」と評した。私が音楽から受けた言葉にならない感動を簡潔な文章で表現された驚きは、今でも忘れられない。悠久の自然の営みの中では人間の悲しみなど小さなことに過ぎないことを教えられた。次にマーラーを知った。彼の音楽は善悪を超えて人間の全てを宇宙から地球を眺めるような客観性で包み込み、神の如き包容力で許す。音楽が私達に自分の生をはるかに超えた視点をもたらしてくれる。

宮古島の子供達は心根が素直なので気負うことなくベートーベンやマーラーがすっと入っていくようだ。芸術を信じることは人間を信じること。音楽がこれから大都会に旅立つ彼等の「お守り」になってくれることを心から願う。


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琉球新報連載エッセイ 4/6

幸せの要素


 宮古島市ジュニアオーケストラの夏の東京・那覇公演に向けての練習が始まった。中高生は、二〇世紀初頭にウィーンで活躍した大作曲家マーラーの交響曲第五番第四楽章を演奏する。滅多にアマチュアが演奏しない難曲だ。その上、美しいメロディーに込められた深い情感を個々の演奏者が自分の力で表現しなければならない。いわば「大人」になることが要求されるのだ。

子供達が音楽を通じて成長するには二通りのパターンがあるようだ。自分をしっかり見つめる力がまず育った子は、忍耐強く技術練習をすることができる。積み上げられた結果がその子の人となりを表現し感動を与える演奏となる。やがてステージ上で聴衆の共感を感じ取ることができるようになり、音楽する歓びや人生への自信が生まれるのだ。逆に、まず音楽することに愉しみを見いだした子は、荒削りだが理屈抜きに人の心に響く演奏をする。やがて愉しさを糧に厳しい技術練習を通じて心が育ち「大人」の深い表現力を身につけるようになる。

子供達が本当に音楽を自分のものにするためにはこの両方の要素が必要なわけで、合奏の練習は子供達が双方の長所を感じ合える貴重な場である。幸い宮古島の子供達の心根は本当に優しいのでお互いの良さをすっと受け入れて認め合っている。言い換えれば、この子達はいとも簡単に価値観の多様性を学んでいるのだ。

現代は、「大人」になりにくい時代かもしれない。三〇年位前に東京で端を発したと思われる小学校受験から大学受験までいかに効率よく知識を覚えるかという点を重要視し優劣を決めてしまう考え方が全国に広がって、広い視野や様々な価値観から生き方を考える機会に恵まれない子供達が増えているからだ。でも宮古島はまだ大丈夫。幸せな人生を送るためには絶対必要な「互いを認める優しさ」がどの子の心の中にもちゃんと育っているからだ。ジュニアオケという一つの社会を通してこれからもこの環境を守っていきたい。その為には私達大人が流されずに自らの生き方を磨き、広い視野に立ち、常に子供達の幸せを考えることが必要だと思う。


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